焼入れと焼戻しの違い:目的・温度・組織・硬さと靭性を比較

焼入れは、鋼をオーステナイト域まで加熱して急冷し、硬いマルテンサイトにする処理です。焼戻しは、焼入れした鋼をA1点(727℃)より低い温度に再加熱して、硬さを下げる代わりに靭性を回復させ、内部応力を減らす処理です。焼入れままの鋼はもろく割れやすいので、2つは「焼入れ焼戻し」として組み合わせて行い、焼戻しの温度で硬さと靭性の配分を決めます。刃物や軸受は約150〜200℃の低温焼戻しで硬さを残し、軸や歯車は約550〜650℃の高温焼戻し(調質)で粘り強さを得ます。

項目焼入れ焼戻し
目的鋼を硬く強くする。拡散を伴わない変態でマルテンサイトを得る焼入れでもろくなった鋼の靭性を回復させ、内部応力を減らす。焼戻しの温度で、硬さと靭性のバランスを用途に合わせる
処理する前の鋼圧延・焼ならし・焼なましの状態の鋼(フェライトとパーライトなど)ふつうは焼入れしたあとの鋼(マルテンサイトと残留オーステナイト)。大型の鍛鋼品では、焼ならしのあとに焼き戻すこともある
加熱温度オーステナイト域。目安は、亜共析鋼でA3点より約30〜50℃高く、過共析鋼でA1点より約30〜50℃高い温度。S45Cでは820〜870℃A1点(727℃)より低い温度。低温焼戻しは約150〜200℃、高温焼戻しは約550〜650℃
冷却水や油などで、臨界冷却速度より速く急冷する。水冷は速く硬くなるが、ひずみや焼割れが起こりやすい保持したあと空冷するのが基本。高温焼戻し脆性を起こしやすい鋼では、焼戻しのあとに急冷する
組織の変化オーステナイトが、せん断型の変態で、炭素を過飽和に含む体心正方晶のマルテンサイトになる過飽和の炭素が微細な炭化物として析出し、焼戻しマルテンサイトになる。約250℃以上ではセメンタイトができ、母相はフェライトに近づく
硬さを決めるもの主に炭素量(焼入れ硬さ)。合金元素は硬さそのものより、焼きの入る深さ(焼入れ性)を高める焼戻しの温度と時間。温度が高いほど、時間が長いほど軟らかくなる。Mo・V・Wを含む鋼では、500℃以上で二次硬化が起こることがある
靭性と内部応力非常に硬いが、もろい。急冷の温度差と変態の体積膨張で、大きな内部応力が残る内部応力が下がり、靭性が回復する。焼戻しの温度が高いほど靭性は上がる(焼戻し脆性の温度域を除く)
起こりやすい不具合焼割れ・焼入れひずみ。太い部品では中心まで焼きが入らない(質量効果)。焼入れのまま放置すると置き割れを起こすことがある約250〜400℃で焼き戻したときの低温焼戻し脆性。Ni-Cr鋼などを約375〜575℃でゆっくり冷やしたときの高温焼戻し脆性
S45Cの機械的性質(技術資料の参考値)焼入れままでは使わないのがふつうで、参考値も焼入れ焼戻しの状態で示されている焼入れ焼戻しの状態で、引張強さ690 N/mm²以上、降伏点490 N/mm²以上、硬さHB 201〜269。焼ならしの状態(引張強さ570 N/mm²以上、HB 167〜229)より強い。どれも保証値ではなく、鋼材の太さで変わる

数値は代表的な目安で、世代や製品によって異なります。

どんなときに使うか

硬さと耐摩耗性を最優先するとき(焼入れ+低温焼戻し)
刃物、転がり軸受、ゲージ、浸炭した歯車の歯面など。約150〜200℃で焼き戻し、マルテンサイトの硬さをほぼ残したまま、内部応力と割れやすさを減らします。
強さと粘り強さの両方が要るとき(焼入れ+高温焼戻し=調質)
S45CやSCM435の軸、歯車、クランク軸など。約550〜650℃で焼き戻すと、硬さは焼入れままより大きく下がりますが、衝撃やき裂に強くなります。
焼入れだけで済ませない理由
焼入れままの鋼は硬い反面、内部応力が大きく、置き割れや使用中の割れを起こしやすいからです。焼入れのあとはできるだけ早く焼き戻すのが原則で、焼戻しの温度は「どれだけの硬さを手放して靭性を得るか」で選びます。

よくある質問

焼入れと焼戻しはどちらを先に行いますか?

焼入れが先です。焼戻しは、焼入れでできたマルテンサイトを再加熱して調整する処理なので、焼入れをしていない鋼に行っても同じ効果は得られません。焼入れのあとは、置き割れを防ぐためにできるだけ早く焼き戻します。

焼戻しをすると硬さはどのくらい下がりますか?

焼戻しの温度で大きく変わります。約150〜200℃の低温焼戻しでは硬さはわずかに下がるだけですが、約550〜650℃の高温焼戻しでは大きく下がり、そのぶん靭性が上がります。S45Cを焼入れ焼戻しした状態の硬さは、技術資料の参考値(保証値ではありません)でHB 201〜269です。

焼入れ焼戻しと調質は同じ意味ですか?

調質は、焼入れのあとに約550〜650℃の高温で焼き戻して、強さと靭性のバランスをとる処理を指すのがふつうです。焼入れ焼戻し全体を調質とよぶ資料もあるので、図面や仕様では焼戻しの温度や仕上がりの硬さで指定すると誤解がありません。

焼戻しの温度はどうやって選びますか?

必要な硬さから選びます。刃物や軸受のように硬さが必要なら低温、軸や歯車のように靭性も必要なら高温です。約250〜400℃は低温焼戻し脆性で衝撃値が下がるので、ふつうは避けます。

理解度チェック

焼入れした鋼に焼戻しを行う主な目的はどれか。

  1. Aマルテンサイトをさらに硬くし、耐摩耗性を高めるため
  2. B残留オーステナイトを増やして組織を安定させ、寸法の変化を防ぐため
  3. C硬さを多少下げる代わりに、靭性を回復させ、内部応力を減らすため
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正解:C. 硬さを多少下げる代わりに、靭性を回復させ、内部応力を減らすため

焼入れままのマルテンサイトは硬い反面、非常にもろく、大きな内部応力も抱えています。A1点(727℃)より低い温度に再び加熱する焼戻しでは、過飽和の炭素が微細な炭化物として析出し、内部応力が緩和されるため、硬さは下がりますが靭性は大きく回復します。焼戻しの温度が高いほど軟らかく粘い組織になり、工具には低温焼戻し、機械部品には高温焼戻し(調質)を使い分けます。焼戻しで硬さが上がるのは一部の合金鋼の二次硬化に限られ、一般的な目的ではありません。残留オーステナイトは焼戻しで分解する方向に変化し、増やすことは目的ではありません。

鋼のマルテンサイト変態についての説明として正しいものはどれか。

  1. A炭素原子が長い距離を拡散し、オーステナイト粒界にセメンタイトを析出させながらゆっくり進む
  2. B拡散を伴わないせん断型の変態で、炭素を過飽和に含む体心正方晶(BCT)ができる
  3. C冷却速度が遅いほど、炭素が拡散して並び替わる時間ができるので、マルテンサイトが多く生成する
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正解:B. 拡散を伴わないせん断型の変態で、炭素を過飽和に含む体心正方晶(BCT)ができる

オーステナイトを臨界冷却速度より速く急冷すると、炭素が拡散する時間がないまま、原子が集団でわずかずつずれるせん断型の変態が起こり、炭素を過飽和に含んだ体心正方晶(BCT)のマルテンサイトができます。炭素が格子をc軸方向にゆがめるため、非常に硬くもろい組織です。変態はMs点で始まり、温度が下がるほど進み、保持時間にはほとんどよりません。炭素の拡散を伴ってフェライトとセメンタイトに分かれるのはパーライトやベイナイトで、冷却が遅いほど生成しやすいのもパーライトです。

鋼にMn、Cr、Moなどの合金元素を加えると焼入れ性が向上する。その理由として正しいものはどれか。

  1. ATTT線図のノーズが短時間側へ移り、オーステナイトの変態が速く進むので焼きが入りやすくなるから
  2. BTTT線図のノーズが長時間側へ移り、遅い冷却でもマルテンサイトになりやすいから
  3. CMs点が上がり、冷却の早い段階からマルテンサイトが生成し始めるから
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正解:B. TTT線図のノーズが長時間側へ移り、遅い冷却でもマルテンサイトになりやすいから

焼入れ性は、焼入れでマルテンサイトが得られる深さ(焼きの入りやすさ)のことです。Mn、Cr、Moなどの合金元素は、オーステナイトからのパーライト変態やベイナイト変態を遅らせ、TTT線図やCCT線図のノーズを長時間側へ移します。そのため臨界冷却速度が下がり、太い部材の中心部や、油冷のような遅い冷却でもマルテンサイトになりやすくなります。ノーズが短時間側へ移ると、逆に焼きが入りにくくなります。多くの合金元素はMs点をむしろ下げるので、焼入れ性の向上の理由ではありません。焼入れ性はジョミニー試験(一端焼入れ試験)で評価します。

  1. TTT線図(恒温変態線図)とCCT線図(連続冷却変態線図)の違いとして正しいものはどれか。
  2. 低炭素鋼(約0.2%C)の歯車に浸炭焼入れを行う。この処理についての説明として正しいものはどれか。
  3. 切削工具にTiNなどの硬質膜を被覆する。超硬合金の工具と、高速度工具鋼(ハイス)の工具の被覆法の選び方として適切なものはどれか。

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関連する用語の解説

マルテンサイト
オーステナイトを急冷したとき、拡散を伴わないせん断型の変態でできる組織。鋼では炭素を過飽和に固溶した体心正方晶で、非常に硬い。
焼戻し
焼入れした鋼をA1点(727℃)より低い温度に再加熱する熱処理。硬さを下げる代わりに(下がり方は温度が高いほど大きい)、靭性を回復させ内部応力を減らす。
焼入れ性
焼入れでマルテンサイトが得られる深さ(焼きの入りやすさ)。Mn、Cr、Moなどの合金元素でTTT線図のノーズが長時間側へ移ると高くなる。
パーライト
鋼の共析反応でできる、フェライトとセメンタイトが交互に層状に並んだ組織。冷却が速いほど層の間隔が細かくなり硬くなる。

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